いつもと同じ時間。いつもと同じ駅で、いつもと同じ電車を待つ。乗車位置もいつもと同じ。ユカリが高校へ入ってからは、朝はいつも同じだった。
やがて、電車がやってきて、ため息をつきながらドアが開く。
吐き出されるようにして降りてくる人々が、足早に通り過ぎていく。
そして人の流れが途切れ、ユカリは電車に乗った。
発車を告げるアナウンスとベルの音、ユカリの背中でドアが閉まり、景色がゆっくりと流れていく。
ユカリがこの時間の、この車両に乗るには理由がある。二つ手前の駅から乗車するヒロトと一緒に登校するためだ。彼はユカリと同じクラスの男子で、中学から続く友達の一人でもあった。
ユカリは車内に視線を巡らせると、ちょうど向かいのドアにもたれながら、読んでいた雑誌を片づけかけるヒロトの姿が映った。
「おっはよ。雑誌? 珍しいねー」
その言葉に少し照れたように笑うヒロト。一度カバンにしまった雑誌をもう一度取りだして、広げてみせた。それは、女の子への告白の仕方を特集にしたページだった。
「いやほら。前に言っただろ? ちょっと気になってさ」
前に言った、というのは、ヒロトが『好きな人がいる』と打ち明けたことだろう、とユカリは思った。少し息苦しさを感じたが、ヒロトには精一杯の笑顔を見せた。
「まだ告白してなかったのー? はやくしないと誰かに先越されちゃうよ」
あの子は可愛いから、と付けくわえるユカリは胸の苦しさが増したように感じた。
「そう言われてもなー……」
ヒロトは困ったように呟く。
こういう事をなかなかはっきり言い出せないのはヒロトの悪い癖だと思う。でも、自分の気持ちに気づきながら何も出来ないわたしも同じようなものなのかな。そんな考えが頭をよぎって、ユカリは心の中でそっと息を吐いた。
「……ユカリさ、彼女と友達なんだろ? なんとかそれとなく話してくれないかな」
それを聞いて思わず苦笑した。そんなこと出来ないよ。自分で自分にとどめを刺すことになるから……。
「自分で言った方がいいって。カナはそういうの鈍いから」
いいわけのように言うユカリ。
カナ、というのがヒロトの『好きな人』であり、そして、ユカリの友達でもあった。趣味も合い、休日にもよく一緒に遊ぶ仲だ。今はそのことが重くのしかかり、ユカリにあと一歩を思いとどまらせることになっていた。
しばらくして、電車が減速したとき、ユカリはよろめきそうになった。なんだかそれが、心の内が表に出てきてしまったような錯覚を起こさせた。
このまま、この話を続けていると落ち込んでしまいそうだったので、駅から出る頃には話題も変えて、ユカリもただの友達に戻ることにした。とりとめのない会話をしながら、軽口を叩きながら、学校へ向かう。
けれど、気分は落ち込んでいた。
学校に着いても、授業が始まっても、先生の解説や言葉がすり抜けていく。
どうすればばいいんだろう。そればかりを考えていた。
ふと、窓際に座るヒロトの背中が目にとまった。なにやら外を眺めてはため息をついているようだ。
彼の視線の向こうでは、カナのクラスが体育の授業を行っている。
ヒロトは彼女を見ているのだろうか。きっとそうなんだろうな。と、ユカリは思った。仕方ないか、と自分に言い聞かせると少しは落ち着けたような気がした。
それから、それ以上のことは何もなく、ユカリは一日の学業を終えた。
「ただいまぁ」
「おかえりー。ユカリ、何か手紙来てたわよ」
出迎えた母に手渡された封筒。靴も脱がないままに破り開ける。ユカリは一瞬、心を躍らせた。
「この前出した懸賞だ。当たったんだぁ」
「へぇ、なになに……映画鑑賞招待券? タダ券じゃない。二人まで無料になるみたいね。あんた、映画好きだし、よかったじゃない」
「ほんとだ。誰と見に行こうかなー」
自分の部屋へ向かいながらユカリは考える。自分と同じくらい映画好きの友人といってまっさきに思いつくのは、カナだった。
「あ……」
ユカリは招待券をみつめた。
指定の映画館で、好きな映画チケットと交換。同時に二人まで有効。
「そっか、二人かぁ」
ベッドに腰掛けて、天井を仰いだ。ヒロトの顔を思い浮かべていた。
「どうしよっかな……」
次の日の朝、ユカリはぎりぎりで電車に駆け込んだ。昨日、夜遅くまで考え込んでしまって寝過ごしたからだ。結局、どうするかは決められなかった。
ユカリはヒロトの姿を見つけると、力のこもらない声で挨拶をして、笑って見せた。
「おはよう、もう少しで乗り損ねるトコだったよ」
「うん、珍しいな。はは……」
どういうわけか、返ってきた声も頼りないものだった。
「どうしたの? そっちこそ珍しいねぇ、元気ないよ?」
ユカリが尋ねると、ヒロトは落ち込んだ様子で話し出した。
「昨日さ。部活終わって、帰る途中に見たんだ。……その、彼女、誰か男と一緒に帰っていくのを。もしかしたら、つき合ってるヤツなのかなぁ、って、ちょっとショックでさ」
ぼそぼそとした口調に、いつもの陽気さは感じられなかった。
好きな人に、自分以外の好きな人がいる。それはとてもつらいな。とユカリは思う。ヒロトの気持ちは痛いほどよく分かった。
だけど、カナに関しては心配することは無いように思えた。すくなくとも、ユカリにはカナに彼氏がいるなんて聞いたことはなかったし、彼女が二人兄妹だとは知っているので、たぶん兄と一緒に歩いていただけだろう、と確信は無いながらもユカリはそう考えた。
そう考えたのだが、落ち込むヒロトに悪いと思いつつ、そのことは言わないでいた。
その代わり、ユカリはある決心をした。
ヒロトに落ち込む姿はあまり似合わないから、とユカリは自分に呟きながら。
駅を降りて学校へ向かう道の途中、カバンから取り出す映画の無料招待券。『同時に二人まで』の文字がユカリの目に残った。
「これあげる。どう使うかはまかせるね」
半ば押しつけるようにして渡す。ヒロトは少しの間、戸惑ったように考え込んだ。それでも、しばらく招待券を食い入るように見詰めていたが、やがて、笑顔を見せて受け取った。
「誘ってみるよ。ダメかも知れないけど、誘ってみる」
カナは学校着くの早いよ、とユカリが言うと、ヒロトは時間が惜しいとばかりにあわただしく駈け出していった
「ヒロトー、カナはアクション映画が好きだからねー!」
ユカリの声に手を挙げて応えるヒロト。それを見送っていると、心臓が、熱く小さくなるような、そんな感触が広がった。
本当にこれでよかったのか。ユカリには分からなかった。もしかしたら、ここまでする必要は無かったのかも知れない。
ユカリは軽い後悔と、いやこれでよかったんだ、という気持ちにかき回されながら、学校へ向かった。
重い足取りで、教室へ着くと、そこには嬉しさに少し興奮気味のヒロトがいた。
「ユカリ、ありがとな。オッケーだってさ。ホントにありがとな」
そう言ったヒロトは、今までにないくらいの喜びにあふれる笑顔だった。
そして、この日、昨日と同じように窓からカナの姿を追うヒロトに、ため息をつく仕草は無かった。
いつもと同じ時間。いつもと同じ駅で、いつもと同じ電車を待つ。乗車位置もいつもと同じ。ユカリが高校へ入ってからは、朝はいつも同じだった。
やがて、電車がやってきて、ため息をつきながらドアが開く。
吐き出されるようにして降りてくる人々が、足早に通り過ぎていく。
しかし、人の流れが途切れても、ユカリは動かなかった。
開いたドアの向こうに、雑誌を読むヒロトの姿が見える。こちらには気がついていない。
今度はどんな特集の雑誌だろう。『最新デートコースの紹介!』とかかな。
発車を告げるアナウンスとベルの音。ユカリの目の前でドアは閉まり、ゆっくりと電車は動き出していく。そして、遠ざかっていく。
あの電車に乗ったのは、昨日までのわたし。
心の中でそうつぶやいたユカリは、少しだけ元気になった。そんな気がした。