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うらみの滝 01

01

 山間にある小さな村。東の外れに一軒の家が建っている。

 乾燥した植物。乳鉢。薬研。古めかしい本や巻物。香油の入った壺。ガラスの瓶……

 乱雑に散らかされた机に向かう、ひとりの少女。

 彼女の名は、コトリ。魔術師の弟子で、朝の手習いとして、師の書を手本に書き取りをしているところである。

 窓から差し込んできた日の光に気がついて、コトリは筆を持つ手を止めた。

 顔を上げると、さきほどまで空を覆っていた雲が切れかかっているのが見える。

 明け方から降り続いていた雨はいつのまにか、鳥のさえずりや、軒先より流れ落ちる水音にかわっていた。

 気分転換を兼ねて、外の空気を取り入れようとコトリは立ち上がり、窓辺へと歩み寄る。

 招き入れられた風が、心地良くさせるような、落ち着かなくなるような、雨上がりの匂いと湿り気を連れて、遠慮がちに部屋を通り抜けていく。

 ちょうどそのとき、部屋の扉が開いて、白く長い髭をたくわえた老年の男があらわれた。

 コトリの師、サンスイである。賢人としても名高く、遠くからも彼の見識を頼って訪れる者も少なくない。

 魔法というものに疎い村の者たちからの信頼も厚い。

「あ、御師様。御師様の空読み、外れちゃいましたね。このまま晴れてきそうですよ」

「うーむ、どうやらそのようじゃな。今日一日は降ると視たんじゃがのう」

 弟子の言葉にサンスイは腕を組み、考え込むような仕草をみせた。

 天候の報せは、村の者たちに頼まれて行ったものだ。もちろん、自然の流れ、天の動向を読むということは、確実なものではない。そのことは、村人たちも納得している。

 しかし、なかにはそうでない者もいた。

「あの生意気な若造が来そうな気配じゃな」

 彼がそう呼ぶのは、この村の領主で、サンスイの空読みが外れると、わざわざ使いをよこしてまで嫌味を並べ立てる人物である。

「暇な奴じゃからな……。あれじゃロクな統治者になれんわ……」

「御師様、また領主様に叱られちゃうんですか? お使いの方がいらっしゃったら、居ないフリしちゃいましょうか」

 机に戻りながらコトリが言うと、老魔法使いは髭を揺らして笑った。

「はっはっは。子供の心配することではないわ。……それより、呪術文字百字の書き取りは終わったのかの?」

 サンスイが弟子の手元をのぞき込む。コトリはあわてて次の新しい紙をめくろうとしている。その仕草はどことなく、こそこそとしていて、さきほどまで書いていた紙を隠そうとしているようにみえる。

「ええっと、もう九四字ですね」

「ほう、あと六字で終わりじゃな」

「……もう九四字で、終わりです」

「なんじゃ、書き終えたのは六字だけか」

 コトリから取り上げた紙束をめくってみると、呪術文字どころか、よくわからないような落書きで埋め尽くされている。

「なんじゃこれは。お前は集中力が足らんのう。こんなことでは立派な魔法使いにはなれんぞ。さ、百字くらいのもの、さっさと済ましてしまうんじゃ」

「はぁい」

 叱責されて、コトリが書き取りの続きをはじめる。

 サンスイは、彼女のかたわらに用意した椅子に腰掛けた。

 複雑なつくりの文字がゆっくりと書き連ねられて、時間は過ぎていく。

 窓の外の空はすっかりと晴れ、秋らしい澄んだ青が冴え渡っていた。


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