「あんまり、名前ほど怖そうな雰囲気はありませんねえ。女中さんの幽霊も出てこないし……」
「当たり前じゃ、そのような怪奇な場所ではないと言ったじゃろう」
「それより、御師様。おなかが空きましたよ。お弁当にしませんか?」
コトリがやや大げさに腹を押さえるような仕草をする。
「いやいや、昼にする前に見せたいものがあるんじゃよ」
そう言ってサンスイが指さしたのは、滝壺をぐるりと回るように伸びる道だった。
「あそこを通れば滝の裏側に行くことができるんじゃ。そら、足下に気をつけてついてきなさい」
濡れた岩がつながる道に向かうサンスイを追って、コトリも仕方なくといったようにそれについていく。滝に近づくにつれ、水音は大きくなり、吹きつける風の湿り気も増えているように感じられる。
「どうじゃ、これが裏見、裏から見る滝じゃ」
もう手を伸ばせばすぐそこに、流れ落ちる水を受け止めることができそうなところに、先ほどの滝がその姿を見せていた。
「あ、恨みじゃなかったんですね」
コトリにとっては滝を裏側から、それを間近に見るというのもはじめての経験だった。
だがそれ以上に、その景色に心を奪われてしまった。
流れる水の幕に透けて、今まで歩いてきた山と谷道の風景が見えるのだ。鮮やかに彩られた、さきほどまでの紅葉の景色が、にじみぼやけて、しかし幻想的な色合いを増して映っていた。それは、彼女が今までにみたどのような絵画にも劣らぬ美しさだった。
うっとりと佇むコトリの横で、大きなくしゃみの音が響いた。
「御師様ぁ、せっかく気分出してたのにひどいです」
「いやいや、すまんのう。ちと冷えたようじゃ」
サンスイが、さきほどしまい込んだローブを荷物から取り出すと、それを着ながら、さらにもう一度大きなくしゃみをした。
「御師様!」
「ふうむ。やはり、ここはさっきの場所よりも、ちと風が冷たいようじゃのう」
「御師様、それは当然ですよ。だってわたしたち、滝の裏にいますよ?」
「ふむ……?」
「滝を逆から見てるんですからね。キタから吹く風は、寒いのが当たり前です」
〈了〉